宮部圓成

 ▶ 全国へ説教講演(神野新田開拓百年記念誌より)

 真宗大谷派(東本願寺派)において、本願寺派(西本願寺派)の木村徹量と並び称せられた大説教者に宮部円成1854年(嘉永7年)~1934年昭和9年がある。 圓成は、明治・大正期に大谷派きっての説教者で豊かな声量と爽快な弁舌で全国にその名を知られた。 近江出身の圓成が、東本願寺の大檀越・神野金之助の招きによって神野新田の龍寺へ迎えられたのは、1906年明治39年10月、52歳の時である。

 宮部は、天性の弁才と不断の精進によって説教者として若くして一家をなし、明治初年に早くも説教界に頭角をあらわしていた。 圓龍寺へ来た時は説教の大家として全盛時代であり、彼の名説教は東本願寺特命布教使として高く評価された。 円成は席のあたたまる暇もなく全国各地へ説教の旅に出た。 圓龍寺から豊橋駅までは相当な距離だ。 人力車に乗る宮部の後を、荷物をかついだ随行(弟子)が走ってついていく光景がしばしば見られた。



 ▶ 時刻・料金表から(明治22年の情報なので、多少の違いはあるかも)

 ・豊橋と東京(新橋)間は、途中乗換駅経由して、おおよそ9時間前後かかったようである

 ・豊橋と大阪間は、途中乗換駅経由して、おおよそ10時間前後かかったようである

 ・豊橋と東京(新橋)間は、二等が4円15銭(現在の価格で約8万円強)、三等が2円37銭

 ・豊橋と大阪間は、二等が3円71銭(現在の価格で約8万円弱)、三等が2円12銭