初代神野金之助の豊橋の往復

 ▶ 名古屋と豊橋の往復(明治22年の書籍からなので少し違うかも)

時刻表から、名古屋駅・豊橋間は上下とも日中が3本、夜間1本の計4本の便があった

・切手(切符の当初の呼び名)は月給換算で当時の1円が現在の2万円に相当、二等が1円17銭、三等が67銭

・一等は三等の3倍とあるので、一等は片道2円1銭(約4万円)となる


 ▶ 金之助翁と汽車の話し(神野金之助重行から)

 工事中の翁は名古屋と三河との間に日を暮らしたが、往復の汽車は二等切符を節約して常に三等車に乗り、その賃金の剰差を投じて埋立の労役に使用している老女婦女に或いは金を与え、或いは菓子などを購ひ行きて、其労を犒うたのである。(差額の50銭は約1万円)