毛利祥久

 ▶ 毛利新田開拓の施主

・長州の毛利藩の家老家の子孫、第百十国立銀行の役員(頭取節あり)

・1886年(明治19年)に愛知県令勝間田稔から新田開拓の斡旋を受け、翌20年に

 開発を決定し、同年牟呂用水工事開始、翌21年4月に新田工事を起工した

・しかし、下の「年表」にあるよう、豊橋駅が明治21年9月まで無かったので、山口県

 の毛利氏一行の移動は、海路?、自動車?、自動車と部分開通している汽車との併

 用?、とにかく豊橋までの移動そのものが、現代では考えられないほどの大イベント

 であったわけです



   豊橋以西の鉄道開発の歴史

 ・1874年(明治7年)の大阪駅 - 神戸駅間で仮開業

 ・1877年(明治10年)2月5日に京都駅 - 神戸駅間の営業を開始

 ・1880年(明治13年)に逢坂山経由で大津駅(現在のびわ湖浜大津駅付近)まで延伸され、大津駅 - 長浜駅間

  には太湖汽船による琵琶湖経由の鉄道連絡船が開設された。

 ・1884年(明治17年)に大垣駅 - 関ケ原駅 - 長浜駅間が開業

 ・1886年(明治19年)に武豊駅 - 木曽川駅間が開業

 ・1886年(明治19年)の5月1日に名古屋駅(当時の広井村笹島地内に名護屋駅として)が開設

 ・1887年(明治20年)に名古屋駅に改称

 ・1887年(明治20年)に木曽川駅 - 加納駅(現在の岐阜駅) - 大垣駅間が開業

 ・1888年(明治21年)に豊橋駅が開設

 ・1888年(明治21年)に山陽本線(当時は山陽鉄道)が工事を開始

 ・1889年(明治22年)に新橋駅から神戸駅までの全区間の600.2kmが鉄路で結ばれた

 ・1901年(明治34年)下関まで開通した